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【第3回】海外のアルパインクライミングを取り巻く環境について

文=石鍋 礼(アルパインクライミング推進協議会専務理事)

 

はじめに

 前々回から始まった「アルパインクライミングを考える」。第1回では「アルパインクライミングにおけるアクセス問題」というテーマが提示され、第2回では「岩場の利用とルート整備に関する法的問題」の検討が行なわれたが、今回はヨーロッパやアメリカにおいてアルパインクライミングがどのような活動として認知されているか、また、ボルトなどのクライミング用固定支点の設置についてどのような規制やガイドラインがあるのか、アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council、以下ACPC)にて調査した内容を紹介したい。

 

「アルピニズム」がユネスコ無形文化遺産として登録

 

 2019年12月、とあるニュースが主にヨーロッパを中心としたクライミング界をにぎわせた。それは「フランス、イタリアおよびスイスにおけるアルピニズム」がユネスコ無形文化遺産として登録されたというものだ。ユネスコのウェブサイトを見ると「Alpinism is the art of climbing up summits and walls in high mountains, in all seasons, in rocky or icy terrain. すべての季節を通じて高山地帯にある岩や氷で覆われた頂や壁を登る人為的行為」となっているので、ここでいうアルピニズムは、アルパインクライミングとほぼ同義語と捉えられるが、これはヨーロッパにおいて、アルパインクライミングという行為が、クライミング界のみならず、広く世間一般からも文化的に価値がある行為として認識されている事例の一つといえるのではないだろうか。


ユネスコ無形文化遺産に登録された「アルピニズム」

ユネスコ無形文化遺産の登録事由

 

 それでは「アルピニズム」はどのような事由でユネスコ無形文化遺産に登録されたのだろうか。以下はユネスコのウェブサイトから抜粋、翻訳したものであるが、この内容は日本におけるアルパインクライミングにもそのまま当てはまる。私自身、普段からクライミングの文化的意義など小難しいことを考えて登っているわけではないが、こうした内容を見てみると、日本においてもクライミングを実践するわれわれ自身がその文化的意義を認識し、自信をもって活動してもよいのではないかと思う。

ユネスコ無形文化遺産登録事由(一部抜粋の上、翻訳)

 

R.1:アルピニズムは、(アルピニズムを)実践する人々の間の社会的関係を強化する役割を担い、また単なるクライミングパートナー以上の存在として、ロープを結び合うチームメート間における相互尊重の醸成を助ける。アルピニストは、その実践が社会的、世代的および国家的な障壁を超え、長期間にわたって続く関係性を形作る強烈な経験になると考えている。これらの要素は、自然の知識に関連する無形文化遺産の重要な事例の一つとみなされる。

R.2:アルピニズムの登録は、無形文化遺産と自然環境および持続的な開発の密接な関係を強調することとなる。また高山の避難小屋など、重要な社会的空間の維持、修復に対する共同責任を強化し、今回この申請を行なっている国々で共有されている歴史や価値観の存在に対する認知度を高めることとなる。また登録によってアルピニストのコミュニティにおける対話が再活性化、深化され、情報共有のための新たな土台が作られる可能性もある。

出典:UNESCO.“Decision of the Intergovernmental Committee: 14.COM 10.B.12”. UNESCO Intangible Cultural Heritage. (2022年11月26日)

アメリカ合衆国の国立公園におけるクライミングの位置づけ

 

 アメリカ合衆国では2013年に、国立公園を管轄するNational Park Service(アメリカ合衆国国立公園局、以下NPS)により「クライミングは、原生自然環境(Wilderness)の利用方法として合法かつ適切なものである」という公式見解が示されている。

 

 アメリカ合衆国においては、1980年代半ば、スポートクライミングの勃興とともに全米各地の岩場でアクセス問題が発生するようになったが、1985年、この問題に対処するためにアメリカンアルパインクラブ(AAC)内にアクセス委員会が設置された。その後、1991年にこの組織がAACから独立し、アクセスファンドが設立された。以後、アクセスファンドでは、連邦政府やNPSとの折衝を重ね、20年以上の歳月をかけてようやく勝ち取られたのが上記の公式見解である。ユネスコ無形文化遺産のように積極的にクライミングの文化的価値を認めるほどのものではないが、「合法かつ適正なもの」として管轄当局から公式な見解が示されていることは大きな意義があるといえよう。


アメリカ合衆国国立公園局では、クライミング行為を「原生自然環境(Wilderness)の利用方法として合法かつ適切なもの」とする見解を出している

クライミング用固定支点の設置に関する規制やガイドライン

 

 続いてヨーロッパやアメリカの山岳地帯や国立公園内におけるボルトなどのクライミング用固定支点の設置に関して、どのような規制やガイドラインがあるのかを見てみたい。

 

 まずアルパインクライミング発祥地であるヨーロッパ・アルプスだが、ACPCで調査したかぎりでは、政府・行政機関などによる規制措置を見つけることができなかった(この点につき情報をおもちの方は、ACPCまでご連絡ください)。

 

 しかしながら、ヨーロッパではUIAA(国際山岳連盟)が中心となって1998年から2000年にかけて、山岳地域におけるクライミング用固定支点の設置に関する協議が行なわれ「To Bolt or Not To be」というタイトルで山岳地域でのクライミングルートの整備や新ルート開拓における提言がまとめられている。たとえば既存ルートの整備においては「ナッツやフレンズ、スリングなどのみを使ってクリーンなスタイルで初登されたルートやピッチにボルトは設置されるべきではない」「そのグレードを登れるクライマーがクリーンなスタイルで登れるであろうセクションにはボルトは設置しない」「ルートの整備によって、そのルートの難易度が変更されるべきではない」「初登者によって残された人工登攀が必要な箇所は、ルート整備後も人工登攀できるようにしておくべきである」「ルート整備の際に使用される固定支点の数量は、もともとの数量よりも少なくすべきである。たとえば複数のピトンを1本のボルトに置き換えることもできる」「ルートの整備は初登者の意志に反して行なわれるべきではない」といった考え方が示されている。


ヨーロッパでは「To Bolt or Not To be」というタイトルのもとで、山岳地域でのクライミングルートの整備や新ルート開拓における提言がまとめられている

 日本でもアルパインクライミングに限らず、既存ルートの整備をどのように行なうべきかという議論がたびたび巻き起こるが、そろそろ日本においても、さまざまな意見をもったメンバーで議論を重ね、ある程度の共通認識を整理する時期に来ているのではないだろうか。

 

 一方、アメリカ合衆国では2013年にNPSから発令された「Director’s Order #41 Wilderness Stewardship」において以下の指針が示されており、「国立公園内においてはボルトの新規設置には承認が必要」「ボルトの撤去もしくは交換については承認が必要な場合もある」「承認手順の詳細は公園単位で制定される」という規則になっている。

National Park Service「Director’s Order #41 Wilderness Stewardship」より一部抜粋の上、翻訳

 

原生自然環境において、(クライミング用の)固定支点および固定器具は、めったにないものであるべきである。新たな固定支点もしくは固定器具の設置に関しては、承認を必要とする。既存の固定支点もしくは固定器具の交換もしくは撤去に関しては、承認が必要とされる場合がある。従うべき承認手順は公園単位で、原生自然環境資源を含む資源に関する問題とレクリエーションの機会の考慮に基づいて制定される。承認は原生自然環境委託管理計画(Wilderness Stewardship Plan)もしくは活動単位の計画の範囲でプログラムに従って行なわれる場合もあれば、認可制度などを通じて個別に行なわれる場合もある。

 

出典:National Park Service. “DIRECTOR'S ORDER #41: WILDERNESS STEWARDSHIP”. National Park Service, United States Department of the Interior (2022年11月26日)

 そこでヨセミテ国立公園におけるボルト設置の規則を見てみると、以下のとおり、事前の申請や承認なしでクライミング用のボルトを打つことが公に認められている。

National Park Service「Yosemite Climbing Regulations」より一部抜粋の上、翻訳

 

 ヨセミテ内では、クライミング用安全ボルトの設置はそれが手打ち*で行なわれる限り、認められている。National Park Serviceは、公園内のいかなる場所においても、ボルトおよびその他のクライミング用具の検査やメンテナンス、修繕は行なわない。

 上記のシンプルなルールに加え、ヨセミテ内にはコミュニティとしてのボルト設置に関する強固な倫理がある。もし新しいルートにボルトを打つ場合や、既存のボルトを打ち替える場合は、岩壁の表面を永久的に変えてしまう前に、ヨセミテのルートの歴史や伝統に詳しい地元のクライマーに相談をすべきである。ボルトの設置や撤去より、岩が傷つけられるのを見たい者はいない。

出典:National Park Service.“Yosemite, Climbing Regulations”.(2022年11月26日)

*米国の国立公園では、1964年に制定されたWilderness Actという法律によって、電動ドリルを含むすべての電動器具の使用が禁じられている。


ヨセミテ国立公園では、事前の承認なしでクライミング用のボルトを打つことが規則上、正式に認められている

 ここで興味深いのは、NPSはボルトを実際にどう設置すべきかといった側面に関しては一切関与せず、地元のクライミングコミュニティに委ねているという点だろう。前述のアクセスファンドでは、設立当初から一貫して「アクセスファンドの使命は土地の管理者や政府から、クライミングをする権利を守ること」にあり、クライミングの実践にあたってボルト設置すべきかどうか、設置するとしたらどのように設置すべきかなどの倫理的な議論に、土地の管理者や政府を巻き込むべきではないという方針を貫いている。この方針に基づいた地道な活動によって、ヨセミテのクライミング規則についても、ボルトの設置については地元のクライミングコミュニティの考えを尊重する内容になっているようだ。

 

おわりに

 

 今回の調査を通じて、ヨーロッパやアメリカにおいて、クライマーが協力して、アルパインクライミングの文化的意義を広く社会に認識してもらうための活動や、アルパインクライミングなどの活動が合法的なものとして管轄機関などから認められるための取り組みなどを行なっていることを確認できた。これらの事例は、日本におけるアルパインクライミングのあり方を考え、既存の岩場やルートの整備を進めていく上で参考にできる部分が多い。今後も、こういった海外の事例なども参考にしながら、ACPCの活動を進めていきたい。


いしなべ・れい 1975年東京生まれ。オーストラリア・ボンド大学経営学修士(MBA)。

14歳でフリークライミングを始め、学生時代はクライミングジムでバイトをしながら、国内外でクライミングに没頭。大学卒業後、20年弱のブランクを経てクライミングを再開し、2018年にエル・キャピタン、ノーズなどを登攀。現在は外資スタートアップ企業で働きながら、アルパインクライミング推進協議会の専務理事として事務局運営、海外事例調査などを担当。


この記事は山と溪谷社刊『ROCK&SNOW 099』に掲載された記事を編集・掲載したものです。

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