文・写真=上田幸雄(アルパインクライミング推進協議会理事)
剱岳における岩場の現状
剱岳はご存じの通り「岩と雪の殿堂」と称され、国内においてヨーロッパアルプスを彷彿させることのできる山岳地帯である。剱岳東面は立山黒部アルペンルートの開通によってアプローチが楽になるといっても、日帰りで気楽に取りつけるエリアではない。ゆえに、ベースキャンプを設けて岩場に通うか、ビバーグを重ねて踏破するかは登山者の志向や力量、気象条件などに左右されるが、アルパインクライミングトレーニングの舞台として日本を代表するエリアにほかならない。雪渓を詰め、岩を登り、山頂に至るその過程はアルピニストを育んでくれる貴重な存在である。(アルパインクライミングの定義については、様々な意見があろうかと思いますが・・・)
剱岳に関わらず初見のエリアであれば、まずは入門ルートからというのがセオリーであり、他のルートとのモノサシともなるが、近年は特に有名人気ルートに人が群がり数珠つなぎとなっている状況を目にすることが多い。不人気ルートは情報も乏しく、ルートも荒れていることから限られた休暇の中でクライミングを楽しむためには仕方のないことかもしれないが、いささか寂しい限りである。落石などのリスクにも晒され、渋滞による時間切れ、気象変化に伴うリスクも増す。なにより他人の跡をたどっても面白くないだろう。アルパインクライミングを志す岳人は目先を変えてはいかがだろうか?
私自身、黒部などでの大岩壁開拓ラッシュの60~70年代は遥か昔になった時代にクライミングを始めたのだが、剱岳に限らず主要なルートには、墜落にも耐えてくれるのではないかと勘違いできる残置支点が豊富にあり、カラビナとスリングがあれば登るのに困ることはないものの、トップの墜落は許されなかった。私の大いなる勘違いかもしれないが、近年はリードでの墜落事故が多いように感じるし、墜落に耐えてくれるような残置支点も多くはない。岩の性質からリムーバブルなプロテクションを設置することが難しい場面もあり、一概にフィックスドプロテクションを全悪とするべきでもないとは思う。少しマイナーなルートに取りつくと、ピッチグレードがやさしくても墜落すればそれを止めてくれることができないのが明らかにも関わらず、判断を誤ってランナウトしてしまうことはないだろうか。どこの岩場でもありがちだが、簡単なピッチはどこでも登っていけそうで、目先のピトンやはるか先の残置スリングとか見えるとホイホイと引き込まれてしまう。たどり着いてみると後の祭りである。
入門クライマーやガイドなどの立場から言えば、アンカーや中間支点がしっかりしたボルトに変わり、カムやナッツなど持参せずとも登れるルートがあるというのはありがたいものの。しかし、アルパインクライミングは事前に設置されたボルトに守られた環境で行われるものではなく、自身を守る術を身につけることこそが求められる行動であることを自覚し、その精神を未来に引き継いでいかねばならない。クライミングの歴史と行動規範を我々の世代で破壊して良いわけがない。入門ルートであるからこそ、ルートの質が問われているのである。
一方、『日本登山体系』(白水社)やガイドブックに掲載されてはいるものの、近年では誰にも登られていないルートが数多く存在する。マイナールートを再生(調査発表)することでルートの魅力を再発見・発信すると共に、クライマーの一局集中を分散し、かつ 貴重な財産である岩場を有効に活用することができれば、アルパインクライミングの世界も活性化するのではなかろうか。
アプローチの雪渓について
一部のルート・時期を除いて、雪渓をたどってのアプローチが必須となる。平蔵谷・池ノ谷では雪渓の処理が難しい場面も多いし、近年では長次郎谷出合の雪渓がなくなったこともある。一般登山道とされている剱沢雪渓なども雪渓崩落の危険性はあり、融雪状況によって日々変化している。おおむね安全とされるラインはピンクテープなどで示してあることもあるが、最終的には登山者本人の責任によって判断しなければならない。バリエーションルートではないが、仙人谷雪渓では過去、多くの事故が発生している。雪渓の状態が不安定・判断に迷うようなことがあればロープで確保する、敗退するなどの行動をお願いしたい。必要な装備の携行と技術・判断が生死を分けることもある。
ベースとして利用されている三ノ窓・熊ノ岩について
両エリアとも基本的に幕営禁止エリアである。三ノ窓はチンネ登攀のベースとして賑わっていた時代もあり、その遺物は今でも散乱しているが、一般登山者が目にすることが困難なために話題に上ることも少ない。一方、熊ノ岩においてはクライミングに出かける日中もテントが張りっぱなしのことも多く、山頂の登山者からも容易に確認出できるため問題になりかねない。見えないから良くて、見えるからダメということではないが、自分たちの首を絞めかねないということを考慮して行動していただきたい。また、糞尿も問題となりつつあるので、クライマーの倫理観が問われている。
下降支点について
登山は山頂をめざす行為である。アルパインクライミングも登山の一形態であることに異論はなかろう。しかし、チンネや八ツ峰Ⅵ峰フェース群はその壁の頭を頂として下降する場合がほとんどであるし、源次郎尾根や八ツ峰は山頂に至る過程のなかで必然的に懸垂下降を伴う場合もある。
この際に問題となるのは、下降支点である。ハイマツやピトン、リングボルトで作成した下降支点もあれば、源次郎尾根Ⅱ峰のように年代物の杭と鎖からなるものも存在する。ハイマツはスリングで締められることによって生命力を失い、錆びついたピトンやリングボルト、残置スリングが満足な強度を保証しているとは言い難い。
下降支点は命を預けざるを得ない代物であるがゆえに、早急に整備を行う必要がある。
最後に
アルパインクライミングエリアと呼ばれている山岳地帯では、どんな手段を使用しても登れれば由という風潮もあったが、限りある岩場資源を有効に活用するために知恵を絞る必要はないだろうか。
剱岳の岩場を将来世代に繋ぐため、より良いあり方での整備を行っていきたいと考える。
うえだ・ゆきお 1967年生まれ。愛媛県出身。
北海道での大学時代に登山を始め、就職を機に富山県に居を移す。主に北アルプス剱岳・穂高でのクライミングと黒部横断などを実践してきた。2012年にガイド資格(JMGA山岳ST2)を取得し、ガイド活動を行ないながら、数十年前に登ったルートのリピートと登り損ねたルートのオンサイトガイドを楽しんでいる。5年ごとの海外遠征を2年に短縮することと、禁酒が目標。
この記事は山と溪谷社刊『ROCK&SNOW 100』に掲載された記事を編集・掲載したものです。
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